音のプロに聞いてみた~透析治療室の音をなんとかする方法(全5回)
にっぽんの病院・編集部(以下:NPB) 音環境をよくする方法を考えてみたのですが、ひとつは不快な音を小さくしたり消したりする方法、もうひとつは不快な音を心地よい音に変えて他の音と混ぜてしまうという方法があるのかなと。
音を小さくするという手法として、高速道路の遮音壁や2重窓、ノイズキャンセリングというのを最近はよく聞きます。ノイズキャンセリングについて、詳しく教えてください。
株式会社小野測器様(以下:小野測器) ノイズキャンセリングの前に、まず、一般の騒音問題での騒音低減のことからお話ししましょう。
(株式会社小野測器)
電子計測機器、電子応用機器、電子制御装置及びその関連機器などを製造・販売するメーカー。
本シリーズは、同社サイト内に掲載の「身近な計測」を執筆された石田康二氏がご担当くださいました。
前回のWeb会議の発声から受聴の系も基本的には同じなのですが、音を出す側、音を受ける側、とその間に伝搬する場の3つの要素に分けて検討する必要があります。
工場からの騒音、道路交通騒音が住戸に伝搬して苦情に至るケースも、手元にある機器が気になる音を発生させて、それを扱っている人がその音をうるさいと感じる場合も、空間的なスケールこそ違いますが、音源-伝搬-受音の構造に変わりはありません。
そもそも騒音の定義は、望ましくない音、邪魔な音ですから、その大きさを抑えることが、まず対策の最初になります。そして騒音問題のほとんどの場合、3要素のうち、まず音源側の対策をするのが効果面においてもコスト面においても最も有効です。
音源側、伝搬、受音側とそれぞれに対策のための現状把握が必要ですが、そのアプローチの仕方など詳細は改めて説明の機会をいただければと思います。
■ノイズキャンセリング
さて、ご質問のノイズキャンセリングですが、音源側の対策(例えば、機械であれば起振源の防振、2次音源になるような機械筐体の制振など)、音の伝搬経路と受音側での対策(吸音や遮音)という言わば伝統的なパッシブな騒音対策に対して、アクティブノイズコントロール(ANC)は、新しい技術、といっても基本コンセプトは1936年に特許が取得されており、理論的には古くからあるものです。
1980年代以降のデジタル技術の進展で実用化が進みましたが、それでも2010年ごろまでは、利用用途は限られていました。この10年、ANCと類似の信号処理技術によって、応用範囲が広がっています。
基本原理は、対策したい音源(1次音源)の位相を逆転させた同等周波数帯の2次音源を付加して、両者の音波の山と谷を時間軸上一致させることでキャンセルさせるものです。
最近ですとノイズキャンセル付きのヘッドホンが広く使われるようになりましたが、基本的にはこの原理を用いてます。
自動車の室内のこもり音(50Hz 以下)や空調騒音(時間的にも定常的で周波数帯域も変動しない)にも適用されています。
しかし、高周波領域への効果があまり期待できない点と、効果のある受音領域がある程度限定的になることで、広範囲に広まらない現状があります。
■マスキング
NPB なるほど。音が波であることを利用した手法なのですね。
音の消し方にはマスキングという手法もよく聞きますが、こちらはどういったものなのでしょうか?
小野測器 マスキングの現象は、みなさん日常的にも経験されていることです。
例えば、駅のホームで電話で話しているときに電車が入ってくると、その音で電話の声が聴き取りにくくなりますね。この場合、聴きたい音が騒音にマスクされてしまっているわけですが、その逆を考えてみてください。
聴きたくない音(騒音)があるときに、聴きたい音とまではいかなくても、邪魔にならない音が騒音をマスクしてくれれば、音の大きさは、多少大きくなっても、不快な状態は回避される可能性があります。
しかし、マスキングを有効にするには、一つ大事な要素があります。
マスクしたい音とマスクする音(マスカー)の周波数帯域の関係を検討する必要があります。周波数マスキングというものですが、ある高さの音があって、それより少し低い音があると、そのちょっと低い音によって、もう一方の高い音の方が聞こえにくくなるという現象があります。
ところが、2つの音の高さが離れるとまた両方の音が聞こえるようになります。もちろん、2つの音の大きさにもよります。したがって、マスカーが騒音の周波数帯域を含んでいることが重要になります。
最近、薬局の窓口での薬剤師と患者の会話が、同じ空間にいる他者に聞こえることでプライバシーが守られないという問題に対して、マスキングノイズを用いてこの問題を解決するという方法が取られています。スピーチプライバシーと呼ばれていますが、薬局に限らず、会話の目的と空間を利用する人との関係において、プライバシー確保の観点から、この技術による対策も問題解決の選択肢となっています。
NPB マスキングは音を小さくするのではないのですね。
では、最後に、”音を心地よい音に変えて他の音と混ぜてしまう方法”についてです。
これはもう、私の思い付きでしかないのですが、例えばどうしても消せないなら音色を変えてしまえばいいんじゃないかと。
例えば、歯医者さんのキーンという音。機器メーカーも努力をされていますし、歯科医師も好きではないだろうし、患者としても致し方ない音だとはわかっていますが、この音が好きな人はいないと思うんです。
なので、あの音をなにか鳥の声や楽器の音っぽく変えられないかなと。そうやってBGMに混ぜ込んでしまえば少しは歯医者さんの待ち時間が憂鬱ではなくなるんじゃないかなと思うんです。
そんなことって、できるんでしょうか?
■音の役割
小野測器 確かに、歯を削る音は、歯の痛さを助長する感じで、もう少し柔らかい音にならないものかと思いますね。
全く違う音に代える、もしくは、心地よい音を混ぜ込むというご提案ですが、それは、技術的に簡単ではないことと、その前に、機器が持つ機能を表現しない音がすることに、個人的には違和感があります。
音とその意味の価値については、あらためてお話しさせていただければと思いますが、機械が稼働することによって生じる音は、邪魔にならない程度に残すことが重要だと考えます。そこには2つ意味があります。
一つは、音が、これから起こることを知らせているという意味です。稼働状態の機械は音がするということを人は経験的に知っています。回転切削器具の場合、回転速度によって音は変化しますので、歯科医は無意識に音を聴きながら回転速度を調整しているかもしれません。また、患者も、嫌な音ながら心構えができるでしょう。
もう一つは、音が、異常を知らせるということです。異音がしたので電車が一旦停車して安全確認するということが結構な頻度であります。
この2つの音の意味は、どの機械、機器にとっても重要であり、邪魔にならない程度に残ってほしいと思います。
しかし、仰るように、あのキーンという音は、何とかしたいですね。音が発生するメカニズムをつぶさに調べ、機能を阻害しないように、形状や構造、材料などを工夫することが考えられますが、かなりチャレンジングではあると思います。
先にお話ししたように、発生から受音までの3要素の真ん中に当たる伝搬は、このケースでは、音源(口・歯)と受音(耳)の距離がかなり近いので、空間的な処理(壁や天井の吸音材など)はほとんど効果がありません。
患者さんへの別の負荷があり、良い方法とは思えませんが、耳元(受音位置)で、マスキングノイズを付与するようなヘッドセットを被ってもらうか、もっと単純に、耳栓をつけてもらうということもありかもしれません。
ただ、歯医者さんとのコミュニケーションの経路の確保という別の問題をクリアしないといけませんね。
NPB 確かにそうですね。音にとらわれすぎて、医療行為がしにくくなっては意味がありませんし、過剰対応も良くないように思います。
いずれにしても、現状に何か加えることでより良い環境を作る方法を考えていきたいです。
(にっぽんの病院編集部 2021/05/14)
音のプロに聞いてみた ~透析治療室の音をなんとかする方法
第1回 心地よい音とは? ~心地よい音と不快な音~
第2回 アナログ音とデジタル音はどう違う? ~Web会議の音声がしんどいのはなぜ?~
◆第3回 音を変える方法 ~大きさを変える方法、音色を変える方法~
第4回 機械はなぜ音がするのか?
番外編 透析監視装置の音・計測レポート
最終回 医療・福祉施設の音環境の改善に向けて